代表挨拶

2015年1月、当時勤めていた会社に健康診断の結果が届きました。

心電図 R判定…

Rって?
そんな判定そもそもあるんだ?
ヤバそうだな…

すぐ再検査を受けに病院へ行きました。

当時の僕は、転職したてで、かつ、仕事がうまくいっておらずものすごいストレスを抱えていました。
会社の人間関係の中で、弱音をはいたり、相談できたりする仲間もおらず、日々追い込まれていきました。

そんな日々の中、心臓が悲鳴をあげていることに気付きながらも、仕事で結果が出るまでは弱音を吐くわけにはいかないと思い、仕事を続けていました。

自分の鼓動の音で寝られなかったり、
打ち合せ中に急に意識が飛びそうになったり、
不整脈が断続的に続き、立っていられなかったり、
普通じゃないことはわかってはいたのですが…

そんな日々の中で届いたR判定に、
思い当たる節がありすぎて、結果を見たときに
やっぱりか
と思ったのを今でもはっきり覚えています。

エコー検査をしていると、白衣を着た先生が2人3人と増えていきました。
やっぱり良くないんだな…
とか考えながら、意外に冷静でした。

検査が終わり、めずらしいタイプの心不全・心筋梗塞であることを伝えられ、すぐにドクターストップがかかりました。
「今日この後何もないですから、どんな質問にも納得いくまでしっかり答えますから。時間を気にせず何でも聞いて下さい。」
みたいなことをはじめにお伝え頂いてから、病状をご説明頂きました。

俺死ぬんかな…
長生きは出来ないだろうな…
息子まだ1歳にもなってないのに…
妻に何て言おう…
心臓移植ってそんな金かかるん?

そんなことが頭を駆け巡り、どんな話をして頂いたかほとんど覚えていません。

翌日から検査の毎日でした。

現在に至るまで大変お世話になっている方から、今も診て頂いている心臓の名医先生をご紹介頂けたのは物凄くラッキーでした。
あらゆる検査をして頂き僕にあった治療を模索し行なって頂いた結果、心臓にメスをいれることなく、2018年5月現在、日常生活に全く問題なく元気に生きています。

2016年末までの丸2年は、心臓に負担がかからないように治療、リバビリの毎日でした。
発作が起こり、救急車で運ばれたりもしました。
2017年になり、心臓が大分良くなってくると、
社会復帰をどうやってしようか?という難題にぶつかりました。
病状の回復につとめていた時期は、目の前のことだけ考える毎日だったため、ある意味で精神的には楽でした。仕事場を失い、ビジネスマンとしての自信を失っていた僕に
社会復帰をどのようにするか?
という問題に真正面からぶつかるのはとてもつらい毎日でした。
そんな毎日の中、自分に出来ることをまずは一生懸命やろう、育児に参加することで社会との接点を増やしていこうと、3歳になった長男のスクールの送り迎えや習い事など積極的に参加するようにしました。
習い事の1つでサッカーをやっていたのですが、そこに通うチームメイトのランバイクが息子のランバイクとは違いカスタムされていることに気づき、
ランバイクかっこ良いですね!
どこで買ったんですか?
レースがあるんですか⁇
チームメイトのママにレースの存在を教えて頂き、時間のあった僕は息子とチャレンジすることにしました。
2017年7月末のことです。

初レースは東京タワーで行われたバンビーニフェスタというレースでした。
参加者の中に、後に日本一(RCS優勝)になる選手がおり、その速さにビックリしました。
1週間の練習ではまったく勝負にならず惨敗だったのですが、息子自身が勝てるようになりたいと言い、僕ら夫婦も家族全員でチャレンジするランバイクレースに魅力を感じ、継続的にチャレンジすることを決めました。

毎日朝早く起きて、1時間の朝練。
週末はレースか練習会。
日々動画で息子と速い選手との違いを見つけては、3歳の息子に伝わるよう工夫して教える毎日。

何十年ぶりに夢中になれるものに出会いました。

そんな生活をしている中で、人生の転機となる2つの出会いがありました。

1つ目が、国立和玖選手との出会いです。
ストライダーワールドチャンピオンシップ3連覇など、メディアを通じて名前を知ってはいましたが、生で走りを見たときは衝撃でした。
話しかけようと思った際、40近い中年の僕が、5歳の和玖選手に緊張したのを物凄く覚えています。
5歳ですでにアスリートのオーラをまとってみえました。
この時、ランバイクレースのトップ選手のアスリートとしての将来に強烈な興味を持ち、何か自分に出来ることはないかと考えるようになりました。

2つ目が、全日本ランバイク選手権シリーズ(RCS)との出会いです。
ランバイクレースの最高峰、ランバイクに真剣に取り組む家族の目標となるレース。
初参加は2017年の年末でしたが、衝撃的でした。
2歳から8歳までの、特に4歳以上のレースはスポーツそのものでした。
ある4歳の選手が1位になることを目標に努力した結果2位でした。
日本2位です。
その4歳の選手は1位になれなかった悔しさから、2位を受け入れられず、表彰台にあがることを泣きながら拒否していました。
ランバイクレースは生涯スポーツではなく、卒業ありきのスポーツです。
この舞台で磨かれていった選手達は、次のステージでもきっと活躍すると確信しました。

自分にできることは何だろう?

多くの人に
ランバイクレースと選手、ランバイクレースにチャレンジすることの素晴らしさを知ってもらうこと。
ランバイクレースを卒業したトップ選手が、他のスポーツにチャレンジすることを応援すること。
をメディアを作ることで叶えられるのではないか。
その結果、日本のスポーツを強くすることに貢献できるのではないか。

結論が出ました。

あとは勇気を持って走り始めるだけです。
そして、病気になってどん底をみた僕にとって、やりたいことが見つかり、やれる元気があること自体が奇跡のようで、ビビリな僕でも少しの勇気で走り始めることができました。

RunBikek.ch
はこういった経緯で生まれ、走り始めました。
そして、止まることなく走り続けていけるよう、ご支援頂けますと幸いです。

ランバイクをすべてのスポーツのはじまりに。

星川 大地